笠原正夫・気まぐれ日記

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2012年 03月 23日

埼玉新聞

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 今日は埼玉新聞最終回の掲載日だった。担当記者のY氏が最終回だからなんとかカラーにしたいと努力してくれたようだが、結局紙面の都合でモノクロになった。今回の連載は最初からいろいろあった。データがうまく送れなかったり、取材がうまくいかなくて予定を急遽変えてみたり、そうでなくても他のやることが溜まっていたり、家の用事で時間が無かったからなかなか大変だった。一応これで約束は果たせたと思うので、一息入れて次のやることにまた頑張ろうと思う。

以下、最終回の文です。

子供
 星の写真を撮ることがある。特に天文に詳しいとか興味があるという訳ではないのだが、その昔、本で見た星の軌跡写真を見て「こういう写真を撮ってみたい」と思ったのがきっかけだった。なかなか上達はしないが、夜空を見上げているといつも思うことがある。
 例えば自分が立っているこの地球という星は真っ暗な果てしの無い宇宙という空間にぽっかりと浮かんでいるという事。今自分が目にしている星の瞬きは何万年も前に光ったものなのだという事。考えていると何とも不思議な気持ちになる。又この大宇宙の中で地球という星が生まれ、その星の上に私達が生きているという事は奇跡の上の奇跡のようなものなのだとも思うのだ。
 話は変わるけれど私は一昨年、50の半ばを過ぎて子供を授かった。その細かい事情はここでは省くけれど、この頃は再び子育て体験をさせてもらっている。
 去年の夏の終わりの事、あまりに暑かったので幼い娘を抱き、夕暮れ時に家の周りを散歩した。空はまだ少し翳ってきたくらいで青色が残り、色んな形の雲が動いていくのが見えた。娘はそろそろ目が見えようになり、私の顔を見ると笑うようになっていた。
小さな娘を抱き、「お空が見えるかい?」「山が見える?」などと話しかけながら、ぶらりぶらりと歩いていたら、何故か急に涙が溢れ出て来た。
 この娘が大きくなって自分の子供を抱きながら、同じような空を同じような気持ちで見る事があるのだろうか?その時に私はこの世に居ないかも知れないなぁなどと考えていたのだが、その孫を私が見れないかも知れないというのが悲しいというのでは無く、今、この一瞬、この夕方の一時は二度とは帰らないのだと思ったからだ。
 私達の一生はそれこそ大宇宙の歴史に比べればほんの一瞬にも満たないのだが、だからこそ、その二度とは帰らない一瞬一瞬の積み重ねの日々を自分らしく自覚して生きたいと思う。奇跡の星の上に私達は生きているのだから。

 今回の連載は今日が最終回となります。半年間ご愛読、ありがとうございました。又いつかお会いしましょう。 
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by masao-kasa | 2012-03-23 11:57 | 子供


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